長崎県生まれの劇作家・演出家 松田正隆氏の初期3篇が収められた戯曲集
2023年1月7日の毎日新聞に載っていた渡辺保氏による書評の次の箇所を読んで、この本を読みたいと感じ、本屋でハヤカワ演劇文庫を探して、この文庫本を入手しました。
特に、下記の抜粋の赤色文字の箇所が私にこの本を読みたいと感じさせたのだと思います。
この作品が読者の心に滲(し)み渡るのは、ここに描かれた人間や風景が細緻でしかもリアルに描かれていることが大きい。それは作者独自の言葉の使い方による。その特徴およそ三点。
第一に、三編とも九州が舞台であり、うち二編はほとんど長崎弁で書かれている。戦後日本で方言を使って芝居を書いたのは、木下順二と秋元松代であった。二人はそれぞれ自分なりの独自の方言を作った。それは方言の特殊性を求めながら、その一方でだれにでも通じる普遍性を追求したからである。それに比べて、松田正隆の長崎弁はひたすら正確に客観的に地方の日常の言葉を記録している。この言葉に対する態度に彼の根本的な態度があるといってもいい。
毎日新聞 2023/1/7
書評の中で、この文庫本(戯曲集)に収められた3篇のうちの一つ、1993年初演の「坂の上の家」のストーリーが次のようにまとめられています。
長崎の、坂の上にある一軒家。庭先から遠く、盂蘭盆会(うらぼんえ)の精霊流しに光る川が見える。
毎日新聞 2023/1/7
その家に、数年前の大水害で両親を失(な)くした兄弟、それに妹の三人が住んでいる。兄はすでに役所勤め、一浪中の弟と学生の妹の一家を支えている。その兄には恋人がいた。しかし彼女は突然体調を崩して入院、兄と別れようとする。実は彼女の両親が被爆者で、その影響が及ぶのを心配して身を引こうとしたのだ。
ここでいう大水害とは、私が小学生だったときの記憶として残っている、1982年7月23日の長崎大水害のことだと思いますが、この「坂の上の家」の内容については、自分で読むのが(もちろん、観るのが)一番だと思うので、触れないでおきます。
私がここで触れたいのは、次のような作中の長崎弁での会話を読んだときに脳内再生される、長崎弁による感情です。
慎司)・・・・・何ばしょっとや。
p166 松田正隆Ⅰ 坂の上の家
直子)うん?・・・・・うん。
慎司)こげん、朝早うから。
直子)外ば見よると。
慎司)何でまた。
直子)何でか、知らん。
慎司)・・・・・・・・・・
直子)兄ちゃんこそ、何ね、こげん朝早う、・・・・・・めずらしか。
慎司)うん・・・・・・のどのかわいた。
直子)冷蔵庫に麦茶のあるよ。
慎司)うん。
直子)ちょっととろ味の足りんとじゃなか?
p215 松田正隆Ⅰ 坂の上の家
慎司)うん・・・・・・よかよ、こんくらいで。おいしか。
直子)本当?
慎司)うん。
幸一)陽子さん、取ってください。
陽子)はい。
慎司)はよ取らんばなくなりますよ。
陽子)あ、はい。
幸一)お前、あんまり食うなよ。
直子)ちょっと兄ちゃん、かき混ぜんごとせんね。
幸一)かき混ずんな。
慎司)バリバリしとるところのなかけん。
直子)ここにあるよ、バリバリしとるとこ。・・・・・・あ、兄ちゃん落とした。(ト、台を拭く)
幸一)え?・・・・・・うん・・・・・・。
慎司)陽子さん、ソースは。
陽子)あ、いただきます。(ト、受け取り)
幸一)何や、これ、ニラの入っとるぞ。
直子)そうやろ。慎司兄ちゃんが入れたと。
慎司)モヤシのなかったけん。
幸一)ニラは皿うどんには入れんぞ。
慎司)そうね。
直子)だけん、かき混ぜんごとせんね。
幸一)かき混ずんな!
直子)バリバリしとるとこは、ここにあるけん。
ここから見える移住への視点
私は、この戯曲の会話を読みながら、自分の目で読み取った言葉たちが、自分の頭の中で自動的に長崎弁のリズムをとって再生されていることに気づき、その快さに打たれました。
このような日常的な会話を読んで、そのような思いになったことは初めてだったと思います。
特に、上に抜粋引用した箇所の最後、幸一(書評にある、役所勤めの兄)の言葉「かき混ずんな!」を目で読み取ったときには、瞬時に、自分が長崎にいた頃に、親や友達から同じように言われたであろう記憶に基づいて、正確に脳内再生され、思わず笑ってしまいました。
私にとって、この素晴らしい作品を読んだことが、長崎への移住を考え始めた一つの契機になったのではないかと思います。
つまり、移住を考えるとき、理屈やデータより先にくるものがあるのではないか?と感じるのです。
コメント