長崎・時層探索(N-Time Stratum)
2025.10.30
「時層」の街、長崎。〜見えない景色を、想像する旅へ〜
耳慣れない言葉、時層
それは、時間の重なり
長崎という土地には、目に見える現在だけでなく、過去の記憶が層のように重なっている
これから、いつ頃の人口に戻っていくのか
「人口が減る=寂れる」ではなく、街がかつての姿に戻る過程で、見えなくなっていた「土地の記憶」が再び顔を出すのではないか?
それを遠くから眺めているのではなく、その地に身を投じて、観てみたいと思った
※実績値(〜2023年):長崎市オープンデータより。明治22年から昭和14年までは寄留簿・戸籍簿による現在人口、昭和21年から昭和39年までは配給人口、昭和40年以降は国勢調査に基づく推計人口。
※推計値(2025年〜):国立社会保障・人口問題研究所「日本の地域別将来推計人口(令和5年推計)」より。
現在とかつての長崎の街の姿(時層写真)
1863年頃⇄ 今昔比較No.7 長崎港と市街のパノラマ(1863年頃)
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【パノラマ写真(拡大確認用)】
【長崎港と市街のパノラマ(3枚構成)】
ここは本当に長崎なのか?
川岸に屋根付き船が連なって停泊していて、奥に写っている山にはほとんど木が生えていないこの写真は私が強く関心を引かれた写真の一つです。
ゲティ美術館のウェブサイトでは、手前を流れているのは「浦上川」だとされています。
「Google Earth Pro」を使って、写真に写っている山の稜線から撮影した場所を探してみました。
それが下の動画です。
そして、実際に探し当てた場所付近で「今の風景」を撮影しました。
樹が成長して稜線が変わっているところがありますが、1863年頃に写した写真の中央右側付近と一致しているように見えます。
1863年頃の撮影位置は、もう少し河口側、かつ、もっと低い位置だと思われます。
【最新の鳥瞰映像】
パノラマ写真の正面に写っている山(浜平2丁目付近)の現在の状況を、上空から360度撮影した画像です。古写真では平面に見えますが、実際の地形はこのように複雑に入り組んでいます。昔と変わらぬ急斜面の様子を立体的にご覧いただけます。
長崎港を見下ろす高台から撮影された、3枚続きのパノラマ写真です。 眼下には瓦屋根の家々が密集し、湾内には数隻の船が停泊しています。入り組んだ地形と海、そして山々に囲まれた長崎独特のすり鉢状の地形がよくわかります。
撮影時期: 1863年頃 撮影: フェリーチェ・ベアト (イギリス人、イタリア生まれ、1832年 - 1909年) 画像: J. Paul Getty Museum, Open Content Program より
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1863年⇄ 今昔比較No.6 夫婦川町の春徳寺(1863年)
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【春徳寺(しゅんとくじ)の墓地】
現在の写真は未撮影です。
ゲティ美術館のウェブサイトには「長崎市春徳寺墓地」とされていますが、山の稜線から確認してみようと思っています。
長崎・夫婦川町にある春徳寺(Spring Virtue Temple)の境内に広がる墓地の風景です。 斜面に沿って無数の墓石が整然と並び、その背後には寺院の建物や木々が見えます。当時の日本の埋葬文化や、寺院の静寂な佇まいが記録されています。
撮影時期: 1863年 撮影: フェリーチェ・ベアト (イギリス人、イタリア生まれ、1832年 - 1909年) 画像: J. Paul Getty Museum, Open Content Program より
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2025年11月No.5 長与町丸田郷(2025年11月)
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長与町丸田郷にある中尾城公園から望む北西の風景です
長与川やJR長崎本線、長崎北陽台高校が見えます
自分が高校生まで過ごした町ですが、その頃の記憶とはまったく違う町の風景です
自分が変わったように、町の風景も変わっている
そこになんともいえない緊張感と、時間とともに次第に馴染んでいくものを感じます
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1860年⇄ 今昔比較No.4 麹屋町(1860年)
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中島川にかかる一覧橋からの写真の奥にかすかに興福寺が見えます。
【長崎市麹屋町の興福寺へ続く通りの眺め】
通りの両側には小さな店が並び、家々が点在する小高い山へと続いています。
二人の人物が道沿いに立ち向かい会話を交わしており、画面左手前にある店の前にある小さな台には二人の子供が座っています。
撮影時期:1860
撮影:フェリーチェ・ベアト (イギリス人、イタリア生まれ、1832年 - 1909年)、 ライムント・フォン・スティルフリート男爵(オーストリア人、1839年 - 1911年)
画像:J. Paul Getty Museum, Open Content Program より
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1867-1868年⇄ 今昔比較No.3 鍋冠山公園からの長崎港(1867-1868年)
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山の稜線の変わらなさから、海岸線の変わりぶりをじっくりと考えることができます
【長崎の一部パノラマ】
海岸線沿いに広がる人口密集都市の鳥瞰。
撮影時期:1867–1868
撮影:フェリーチェ・ベアト (イギリス人、イタリア生まれ、1832年~1909年)
画像:J. Paul Getty Museum, Open Content Program より
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2025年11月No.2:立山1丁目(2025年11月)
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地図を眺めていて立山の坂の頂上からの景色を眺めたいと思い立ちスクーターで上りました。
しかし、頂上から下る道の真ん中に立つこの大樹の存在感の方が圧巻でした。
ここは諏訪神社の裏側にあたる立山1丁目です。
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2025年10月No.1:田手原町(2025年10月)
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初めて訪ねる友人の家に向かって、曲がりくねる坂道をスクーターで上りました。
どこかで道を間違えたらしく、地図をひらくとそこは初めて訪れた「田手原町」でした。
坂の上にこのような景色が広がっているとは!
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あなたの「記憶の風景」を探しています
実家のアルバムや押し入れに、明治〜昭和(特に1950年代〜70年代)の長崎の街並みや風景が写った写真はありませんか?
個人の記憶の中に眠っている「長崎の街の姿」を、長崎への移住を検討している方に向けた当ウェブサイトで共有したいと思っています。
ご提供いただいた写真は、ご希望があれば、現在の同じ場所の風景と重ね合わせて、
あなたの「思い出」と共にこのページで共有させていただきます。
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