No.7 長崎港と市街のパノラマ(1867年頃) 「これは本当に長崎なのでしょうか?」1863年頃にフェリーチェ・ベアトが撮影した、3枚構成のパノラマ写真。 そこに写るのは、川岸(浦上川とされる)に連なって停泊する屋根付き船と、木がほとんど生えていない山々。現在の長崎のイメージとは異なる、しかし確かにそこにあった幕末の風景です。私が最も強く惹かれたこの一枚。山の稜線を頼りに、ベアトがどこからこの景色を見ていたのか、その足跡を辿ります。 2025.12.15
No.6 夫婦川町の春徳寺(1863年) 1863年(文久3年)頃に撮影された、長崎市夫婦川町にある「春徳寺(しゅんとくじ)」の古写真をご紹介します。撮影者は、幕末の日本を記録した写真家フェリーチェ・ベアト。 斜面に沿って整然と並ぶ無数の墓石と、静かに佇む寺院の姿が克明に写し出されています。当時の埋葬文化や、変わらぬ寺院の静寂を感じさせる一枚です。現在の写真はまだ撮影できていませんが、山の稜線を手がかりに、ベアトが立った正確な位置を確認してみたいと考えています。 2025.12.15
No.5 長与町丸田郷(2025年11月) 長与町丸田郷にある中尾城公園から、北西の方角を望みます。 眼下には長与川やJR長崎本線、そして長崎北陽台高校。ここは私が高校時代までを過ごした町ですが、目の前に広がるのは記憶の中とは全く違う風景でした。自分が変わったように、町も変わっていく。その変化に対峙した時に感じる独特の緊張感と、時間と共に少しずつ馴染んでいく感覚。 2025.11.24
No.4 麹屋町(1860年) 今回は、1860年(万延元年)頃に撮影された長崎市麹屋町の貴重な古写真をご紹介します。撮影者は、幕末の日本を数多く記録した写真家、フェリーチェ・ベアトら。 写っているのは興福寺へと続く通りです。通りの両側には商店が並び、会話を楽しむ大人たちや店先に座る子供たちの姿など、当時の長崎の日常が鮮明に記録されています。現在の風景との比較写真はまだ撮影できていませんが、まずはこの一枚から、かつての長崎の「時層」と人々の息遣いを感じてみてください。 2025.11.22
No.3 鍋冠山公園からの長崎港(1867-1868年) 幕末から明治にかけて活躍した写真家フェリーチェ・ベアトが、1867年から1868年にかけて撮影した長崎のパノラマ写真の一部をご紹介します。写し出されているのは、海岸線沿いにびっしりと家々が立ち並ぶ、人口密集都市・長崎の姿。斜面にへばりつくように形成された街の密度からは、当時の長崎が持っていたエネルギーと独特の地形的特徴が見て取れます。現在の風景との比較はまだ行えていませんが、まずはこの一枚から、約150年前の長崎の「時層」を感じてみてください。 2025.11.22
No.2:立山1丁目(2025年11月) 地図を眺めていてふと思い立ち、スクーターで長崎市立山の坂の頂上を目指しました。 諏訪神社の裏手にあたる立山1丁目。そこで私を待っていたのは、眼下の景色以上に圧倒的な存在感を放つ「道の真ん中に立つ大樹」でした。目的の場所へ向かう途中で出会った、予期せぬ風景との出会い。長崎の坂道には、こうした不思議な光景が日常の中に溶け込んでいます。 2025.11.20
No.1:田手原町(2025年10月) 友人の家に向かう途中、スクーターで迷い込んだ長崎市田手原町。 曲がりくねる坂道を上りきり、地図を開いて現在地を確認したその時、目の前に広がっていたのは予期せぬ美しい景色でした。偶然たどり着いた場所で出会う、ハッとするような光景。長崎の日常に潜む、そんな一瞬を切り取りました。 2025.11.20